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「平均点教育」と言われる日本の教育

 

こんにちは!心理カウンセラーの松田ちかこです。

 

子どもの教育。お子さんの幸せを願って教育に力を入れる親御さんは多くいらっしゃいますよね。

これからを生きていく子どもたちにとって、教育から受ける影響はとても大きいものです。

この変化の加速する今とこれからの時代、私たち大人は、子どもたちが幸せに逞しく生きていけるように、教育をどう捉え、どう変化させていけば良いのでしょうか。

 

 

 

教育が変わらない日本

コロナ禍の今、日本の教育も形を変えていくことの必要性を迫られています。

もちろん従来の教育制度にも良い部分はたくさんありますし、時代に合わせて変化もしています。しかし、その根本には現状にそぐわない前時代的な考え方が蔓延っているのが現状。国も役所も先生も…そもそもこの国の大半の人々が前時代的な教育で植え付けられた偏った価値観の洗脳から抜け出せないでいるため、どこか違和感を感じながらも抜本的に改革できずにいるのです。

 

偏った価値観を1つ例に挙げると、コロナ禍という環境になって、多くの人が「学校に登校すること」に囚われていたということに気づきました。私たちは「教育を受けさせる義務」を負っています。教育は学校でしか受けられないため、大人たちは無理にでも学校に登校させようと必死です。

しかし、今の状況は“人が集まり接触すること“がリスクとなります。学校に集まって授業を受ける、しかも基本的に一斉教授という選択肢しかない義務教育に疑問を感じる人は増えたのではないでしょうか。

 

そもそもコロナ禍以前から、登校できないお子さんはたくさんいました。

不登校にも様々な理由があります。お家の事情で登校できない子、集団生活が苦手な子、一斉教授では授業内容が理解できないため勉強が苦痛になってしまった子、病気で治療を受けている子・・・。しかし、基本的には「学校に登校」しないと教育は受けられません。自主的に学校以外の手段で教育を受けていても、教育を受けたとは認めてもらえません。

 

多様性の尊重を求められる社会。一方で、多様性を認めない学校教育。

一番先頭に立って導いていくことを求められる学校が、一番遅れを取っているのではないか。今の状況をみていると、そんな風に私は感じてしまいます。

一億総中流を目指した教育の名残

現在の教育制度は、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の命令により行われた教育改革で定められたものです。

それまでの日本では、5年制の旧制中学から医学専門学校に進めたり、小学校から実業学校で学ぶことができたりと「複線型」の教育が行われていましたが、アメリカの制度をモデルにした、6・3・3制度(小学校6年、中学校3年、高校3年)という「単線型」の教育へと変わりました。

能力と発達段階は関係なく年齢が同じ子どもを集め、一斉に授業を行うようになったこの教育制度。そんな中で、知識習得を中心とした授業についていけない子どもたちは「落ちこぼれ」と言われ、その後の人生にも影を落とす…そんな流れができてしまいました。この現実は、今も変わらず存在しますよね。現代の画一的な教育は、ここから始まっていたのではないか、と言われています。

 

戦後の労働システムの変化も教育に大きな影響を与えています。

日本の経済は、戦後の復興により高度経済成長の時代に入ります。企業は労働者を確保するため、安定した生活を送れるだけの給料・福利厚生・終身雇用制度を提供し、労働者はその手厚い補償から安心を得るために就労を望みました。

このWin-Winの関係により企業は急成長し、労働者も裕福な生活ができるようになりました。経済格差が少なかったことから「一億総中流社会」と言われていたのはこの時期です。

この時の企業が求めるのは、経営者に従順な労働者。働く上で不足のない能力があり、言われたことを素直にこなせる人材。そうした人材の育成のために、教育はますます画一的になります。

こうした労働システムは、企業の儲けが多かった好景気の時代にのみ通用する考えです。実際、バブル崩壊後から不景気が続く現代では、給与水準は下がり、終身雇用も危ぶまれ、労働者の生活は苦しいものになっているのはご存知のとおりだと思います。企業が力を無くしているため、労働者は企業に従順に働いてもそれ相応の給料や生活は得られません。そうした現状では労働者の生活が成り立たなくなるため、副業の解禁を筆頭に労働システムに変化が生まれています。

 

しかし、教育は今もなお、企業で働く労働者を育成することを目指した教育のまま。

時代は変化しているのに、人々の価値観が“一流企業に就職できれば安泰“そのための“学歴・偏差値”という洗脳から抜け出せないでいることを象徴しているようです。

 

こちらの記事もチェック!『格差社会が子どもたちに与える影響』 - ぐろーいんぐあっぷ!

格差社会と平均点教育

日本国民の三大義務の一つに挙げられる「教育の義務」。大人は子どもに教育を受けさせる義務を負っていて、子どもには教育を受ける権利があります。そして、すべての国民は法の下に平等だと日本国憲法で規定されています。

しかし、この教育1つをとっても格差があり、その格差が将来の就職に格差を生み、経済格差をもたらしているのが現状です。

教育格差は生まれた時から始まっています。親の所得によって幼少期から受けられる教育に差が生じます。公教育が画一的なものであるため、子どもの多様な能力に合った教育は望めません。“平均”からはみ出した能力を持つ子どもには、それ相応の教育が個別に必要になります(塾や習い事など)。個人的にそうした教育を受けられるだけの経済力がある家庭では、子どもはその能力を伸ばすチャンスを得られます。日々生活するので精一杯の家庭では、そうした教育を受けるチャンスは得にくいでしょう。この差が、後の就職及び経済力繋がっていくのです。

 

バブル崩壊後、日本の経済は30年以上低迷が続き、所得格差は今もなお広がり続けています。

働いても働いても給料は上がらず、身を削って残業をしても微々たる金額にしかなりません。それでも雇用されることで安定した生活が得られる、という根強い価値観があり、周囲にそのような思い込みをしている人が多ければ同調圧力によって洗脳され、変化を諦め苦しい生活を受け入れ続けるということになるのです。

この価値観がある限り、経済格差の広がりは止まらないのだと思います。

 

戦前の日本は、転職や解雇が当たり前で雇用の流動性が高く、企業も労働者も自由だったと言われています。意外かもしませんが、社会の風潮も現代より自由で、自助努力の精神が強かったそうです。

現代の終身雇用は戦時中に作られ、戦後に定着したものです。日中戦争で企業の人手不足が問題となり、政府は従業員雇用制限や賃金統制令を出し、労働者の働き方を規制・管理しました。これが終身雇用制度へと繋がっていきました。

現代、常識と思われている社会システムは、多くが先の大戦を機に軍国主義の考え方のもと作られたものなのです。それゆえ、自由が制限され続けていると言われています。

 

“企業にとって都合の良い労働者を育てるもの“になってしまっているのが現代の日本の教育。

ずば抜けて能力のある人や発想力豊かで風変わりな人、改革を起こしていく人は企業の労働者としては必要ない。みんな同じように働く、労働者として最低限必要な能力を備えた問題を起こさない人が求められているのです。

そうした平均的な能力を育てるだけの日本の教育は「平均点教育」と揶揄されています。個々の能力ではなく、集団全体がそれなりにできていることを目指した教育である平均点教育。

授業についていけない子やもっとレベルを上げてほしい子はそこからはみ出してしまいますが、そこに対応するシステムはありません。公教育に関わる先生方は、その矛盾に胸を痛めながら日々子どもたちに向き合っています。教員が責められる対象になってしまうことが多くありますが、現場の先生たちは精一杯ご尽力されています。問題なのは、学年制や一斉教授などの画一的なシステムを強いる体制と人材不足。変化しない教育制度をなんとかしないと、子どもたちは守れないのです。

 

さらに、企業が求める労働者の姿も近年は変わってきています。企業に従順な平均的な能力を持つ人から、+αとして斬新なアイデアを出し利益を生み出せる能力を持つ人が求められるようになり、学校教育で求められたことと社会で求められることとのギャップに戸惑う若者が増えています。

 

企業に従順でありながら、アイデアマンになれなんて都合が良すぎますよね。しかし、多くの人はそうやって求められることに、一生懸命応えようと頑張ってしまうのです。

 

日本は資本主義国家でありながら、「社会主義が成功した国」「世界最大の社会主義国家」と揶揄されています。

コロナ禍でも、ロックダウンをしなくても皆が国や自治体のお願いを聞き行動制限したことからもわかるように、国や企業の言うことに従う社会主義的な風潮が強い国なのです。

 

だからこそ、「みんなが同じように」を求め、平均的であれと教育してしまうのです。

 

金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい(私と小鳥と鈴と)」

この詩を今一度、心に染み込ませ、自分の思い込みと向き合う人が増えればいいなと思います。

 

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教育の本質とは

そもそも人は、何を求めて生きているのでしょうか。

 

「健康になりたい」

「お金持ちになりたい」

「地位・名誉が欲しい」

 

≪それがあれば自由が手に入るのに・・・≫

 

そんな思いがあるのではありませんか?

 

人は誰しも自由に生きることを求めています。

「健康やお金の心配、人間関係のしがらみがなければやってみたいことは何?」

そう聞かれたら、色々と思い浮かぶ。だけど、今の状態だったら無理だ…。

そう思ってどこか諦めて日々を過ごしている人が大半なのではないかと思います。

だけど、自由に生きることを求めてやまないから、不自由な現実に不満を抱え苦しんでいるのです。

 

自分が求めていることを現実にする力。それを身につけるために、人間は知識や技術を学び、人生を切り開いていきます。

教育には、先を生きる大人たちが”人生を切り開くのに必要だったこと”を子どもたちに効率的に学ばせ、よりよく生きてもらいたいという願いが込められているのではないでしょうか。

このことから、教育の本質をさらに具体的に表現するならば、

教育の本質とは『自由に生きるための力を育むこと』と言えるのではないかと思います。

 

教育基本法では、

第一条(教育の目的)

教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。

第二条(教育の目標)

教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

と謳われています。

 

自由な精神で自由に学び、考え、行動し、お互いに自由を尊重し合う。それは個人だけではなく、集団でも。

そんな風に読み取ることができるかもしれません。

しかし、それはどこか理想の枠に縛り付けるような、“こうあるべき人物像“以外を認めないような、画一的な人物を育成する目的・目標を掲げる法律だなと感じさせるものでもあります。

 

自由に生きることを求めながらも、私たちが本当の自由を得られないのは、こうした道徳心のもと育ってきたからではないでしょうか。

 

人はもっと多様で自由な存在です。“男女”や“国”といった枠組みはただの概念でしかないし、何を大切にし、どこで誰と関わり、何をどう学んでいくのかはそれぞれの求めるものが全てです。社会への関わり方も、どんな人格(職業・ボランティア・個人など)で関わるのか、どんな方法で関わるのかはいくらでも選択肢があります。

「こうあるべき姿」に完璧に当てはまる人はいません。無理やりそこに当てはめようとするから、自由な存在である自分を失い、生きづらさを感じるのです。

 

私たち、そして子どもたちが「自由に生きるための力」を身につけていく。

それが未来を良いものに変えていくための希望の光なのではないでしょうか。

私たちができること

「自由に生きるための力」を身につけていくために、私たち一人ひとりができることはなんでしょうか。

まずは、平均点教育と揶揄されている教育の現状を知ること。自分達が受けてきた教育や当時の大人たちに教えられてきた“常識“を振り返り、それは自分にどう影響してきたのかを考えてみましょう。

そして、どんな経緯でその教育や常識が作られてきたのかを、歴史を遡って確認しましょう。経緯が理解できれば、何が良くて何が問題なのか、その本質が捉えられるようになります。

 

問題を捉えられたら、うまくいっている人が行っている方法を探し、試してみます。自分に合った問題解決方法が見つかるまでトライ&エラーを繰り返して構いません。考えていても始まらないので、とにかく行動に移し、自分の自由が得られる実感を得たものから、継続してください。続けていたものが習慣になったら、日常が目に見えて変わっているはずです。

 

『私は自由に自分の人生を決められる』

そう感じられるようになったら、きっと「自由に生きるための力」がついてきた証拠です。

大人が「自由に生きるための力」を身につけることができれば、子どもはそこから学んでいくことができます。

子どもが学んでいく中で、躓いたり転んだりした時には手を差し伸べ、勇気を出して挑戦しようとする時には背中をそっと押してあげる。

一人ひとりがそんな支え方をしていけるようになることが、私たちに今できることなのではないでしょうか。

さいごに

「平均点教育」と揶揄される日本の教育。

生産性が下がる日本の未来は、子どもたちへの”教育”にかかっているといっても過言ではないと思います。

私たち大人が、教育の在り方をもう一度見直す。

学校の教育制度は、ひとりの人間がどうこう言ったところで変えられるものではありませんが、自らが社会の矛盾に気付き、学び、行動を変えることはできるのではないでしょうか。

そして、その姿を身近な子どもに見せ、伝えていく。それだけでも、社会は少し変わっていくと私は信じています。

 

<参考>

中流崩壊 (朝日新書)

進化思考――生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」 (海士の風)

教育基本法:文部科学省

 

 

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