こんにちは!心理カウンセラーの松田ちかこです。
家族や友達、職場の同僚、子どもを介した友人、習い事などのコミュニティでの知人など、日常的に関わりのある人の中にこんな人はいませんか?
"必要以上に何かをくれる人"
『有難いんだけど、正直ちょっと迷惑・・・。』
心の中でちょっとそう思ってしまう。
「いつもそんなに頂けませんよ」
とお断りをしても半ば強制的に与えられる。
どんどん重荷になってきて、不快感を態度で表すと怒られる。
『有難迷惑なんだってば!』
ご厚意は有難いけれど、いらないものはいらない。
断る権利はないの?貰わないっていけない事なの?
自己嫌悪に陥ってしまう・・・。
これは「愛情の押し売り」です。
あなたは何も悪くないんですよ。
断っていいんです。
他人同士なら、その人から離れれば回避はできますが、親子関係でこれが起きてしまうと子どもは押し売りされる愛情を断ることができません。
成人していない子は特に、親に庇護してもらうことでしか生きていくことができないからです。
この関係は共依存の関係へと変化していきます。
親離れ子離れができず、自立して生きていくことから遠ざかってしまいます。
子は子の人生があり、親は親の人生がある。
それをお互いが意識して自由に自分の人生を生きていけるようにならなければならないのです。
今回は「愛情の押し売り」についてお話します。
それは本当に「愛情」なのか
まずはじめにこんな詩をご紹介したいと思います。
学生監は生徒にアイスクリームを買ってやる、
その少年が抵抗しないように。
ほとんどの人には想像できないような悪いことを、その少年にしようとしたときに。
「暴力を知らせる直感の力」という本に紹介されているエドワード・ゴーリーの詩です。
これは自分の欲求を叶えるために、まず相手に親切にモノを与え、抵抗できなくするという手法です。
この本は犯罪とその対応について扱っているので、強烈な内容のように感じるかもしれませんが(学生監の欲求が)、手法としては大なり小なり日常の中で見かけるものです。
こうして客観的に見れば、学生監が求めていることも見えますし、これは詐欺だねと素直に思えるでしょう。
しかし、当事者だったら気付けるでしょうか。
実際に「ありがた迷惑な人」から最初に何かをもらったときには、こんなに厄介な人だとは思わなかったはずです。
「ありがた迷惑な人」が求めているもの
あなたを本当に思って何かを与えてくれる人は、何の見返りも求めていません。与えてくれるものも物理的なモノより精神的な温かさであることがほとんど。
しかし、あなたを心配しているふりをして何かを与えてくれる人は、何かしらの見返りを求めています。
それは、ほとんど無意識なものであることが多いですが、
・自分も同じように心配してもらいたい
・感謝されることで自分に依存してほしい
・自分の言うことを聞いてほしい
というように、基本的には注目欲求やコントロール欲求です。
あなたに依存したいから、あなたを依存させようと仕向けているわけですね。
自分を認められない、だから人に認めてもらおうとする。
自分で自分を満たせない、だから人に満たしてもらおうとする。
そんな不足感を抱えた人なんです。
親子間での愛情の押し売り
「ありがた迷惑」が親子の間でも起きていると言われれば、あなたは耳を疑うかもしれません。しかし、程度に差はあれどよくあるものです。
「〇〇をやってあげたんだから、その見返りにこっちの言うことを聞いてくれてもいいじゃないか」
こんな気持ちになったことは誰にでもあるはず。
win winじゃないと気が済まない。
与えるだけでは損だ。
与えてばかりでは、子どもを甘やかすことになるのではないか。
しかし、そもそも子どもが言うことを聞かないのには必ず理由があります。
何かを与えてもらった代わりに言うことを聞くわけではなく、「そうしたい」と思えるから行動を起こすわけです。
言うことを聞きたくないのは、何かが嫌だったから。
そこに気付いて、話を聞いて、気持ちよく行動に移せるようにしてあげることが必要になります。
それが信頼関係を育む関わりになり、何かモノを与えなくても嫌なことを代わりにやってあげたりしなくても、言うことを素直に聞けるようになるのです。
見返りを求めた関わりをしていると、信頼関係は築けず、子どもは親の顔色を窺うようになります。
自分で何かを選んだり、決めたりすることができなくなり、「指示待ち」状態になります。
もしくは、反発心が強くなり何に対しても抵抗を示すようになります。
何かと引き換えに言うことを聞かせようとするのは、教育ではなく取引きですね。
これがゆくゆくは介護問題につながっていくわけです。
「育ててあげたんだから介護してもらって当然」と。
自分の面倒を見てもらうために、子どもを育てるのでしょうか。
本当の愛とは
もうすっかり独立して生活している子どもに対して、あれやこれやとおせっかいを焼いている親というのもよく聞きます。
気にかけてもらえるように、求めていないものを「良かれと思って」と送りつけてきて、「いつも色々やってあげているんだから、親である自分のことを気にしてほしい」と言葉や態度で示す人もいます。
子どもにとっては「必要なものは自分で買うし、特にほしいと思ってなかったものを送られても場所を取るし迷惑なんだよな」という状態。
「心配している」という大義名分をもとに、物理的に離れた子どもに何かしら関わりたいんですよね。
この「心配」というものは厄介で、「気にかけてくれている=愛情」と解釈しがちですが、本当の愛というのは「信じる」こと。
「気にかけてあげている自分」に酔っているだけです。
「心配してあげているんだから、かまってよ」なんて思いもあるでしょう。
子どもが幼いうちはまだ危険なことも多いので心配するものですが、”この子は大丈夫”と信じられる存在に育てていき、成長に伴って「心配 < 信頼」へと比重が変わっていくはずです。
子どもは何もできないんだから、やってあげなくちゃ。
子どもが自分でやると遅いから、やってしまおう。
その思いをグッと抑えて「この子にはできる力がある」と信じ、どんなに時間がかかっても自分でできることは自分でやらせてあげるようにしてあげる。
もちろんどうしても出来ないことはサポートしてあげなければなりませんが、少しずつでも出来るようになっていく姿を信じて、日々積み重ねていくことが大切なのです。
本当に必要なサポートは惜しみなく与え、その子の中にある力を十分に引き出してあげられるように信じ続けることこそ、愛なのではないでしょうか。
最後に
「プレゼントあげたんだから、お返しをちょうだいね」
これは本当の愛なのか。
困っているあなたを助け、何も言わずに去っていった名前も知らないその人は、見返りを求めていたのか。
思いやりや愛というものは目に見えないものです。
だから言動で量ろうとしてしまうものですが、それでは本当のことはわかりません。
相手の目を見て、表情や身体の微細な動きを見て、3秒で直観的に判断したものを信じてみてください。
あとから理由を付けて「ちょっと違和感を感じたけれど、○○だからきっと良い人にちがいない」と思い直すのはやめましょう。
愛情や親切の押し売りには必ず裏があります。
そんな人からは全力で逃げてください。
そして、あなた自身が誰かに愛情の押し売りをしてしまわないように、自分と向き合い、自分で自分を満たすことを大切にしてください。
そして、子どもたちには信じる心を教えてあげてくださいね。
<引用>
暴力を知らせる直感の力 ──悲劇を回避する15の知恵 P.79
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